Author:ecoaki
つれづれなるままに。
労働者の立場にいるといつまでたっても十分な資産を築けないと思っているので、それを打開すべく、淡々と経済分析を続けています。
昔は、「資格がなければ給料が上がらないとかハイレベルな仕事が見つからない」とか思い、読みたくもない資格本を虚ろな目で眺めていました。どこまでできるか試してみようと思い、マイクロソフト系の資格を取ったこともありました。コーヒーを飲みまくり勉強を続け、資格試験を受け、どうにかパスしましたがその後あまりの疲れにお店で嘔吐。自分の体を痛めつけて無理やり勉強をしたこともありました。今では、結局自己満足に過ぎなかったんじゃないかなと思います。
会社を作り、経済状態の分析をし、会社維持に必要な知識を得るために販売やWebビジネス、キャッシュ管理、法律、雇用、税金、会計、、、といろんな本を読み漁りました。不安がそうさせたのだと思います。その結果、今までわからなかったことやわからないことによる不安が少しずつ解消されていきました。
そんなことを続け、"結果のみが最終的に意味を成す"という、ごく当たり前な答えに至りました。最近の私の仕事のスタイルや考え方は、"実績ベース"、つまり、 当たり前なのですが、資格も知識も、実践し結果を出さなければ商業活動にはならず、ただの自己満足で終わってしまうので、結果を出すことに直結する為のアクションを優先的にとるように心がけるようになりました。
資格は、転職時では企業の手っ取り早い人材評価の手段に過ぎないとおもいます。雇用されている場合は、社員にほんの少しの昇給というえさをあたえ、自主的に学習を続けさせ、企業自体の経済的競争力を高める行為に過ぎないのではないでしょうか。しかし、そこにはトラップが存在していると思います。どういうトラップかというと、 最初に書いたとおり、資格自体は商業行為に直接つながることではなく、資格に対する学習のみを続けると、肝心の商業行為の本質を見失うリスクがあるからです。どういうことかというと、会社は商業行為を行うことにより利益をあげ、資格はそのプロセスをこなす上であると便利なツールのひとつにしか過ぎず、商業の基礎が変わるとたちまち資格は価値を失っていくからです。
経済活動において、参加者全員が適切な利益を得なければ、経済システムは成り立ちません。参加者全員が時間を割いて、成果物を創造し、システムが動き続けるのです。しかし、例外がいます。それは、資本家です。労働者は資本主義における奴隷です。悪い意味でとらわれがちな奴隷という言葉ですが、この言葉がぴったりだと思います。昔あった奴隷制度の中で、奴隷たちは、主人がいなければどう生きたらいいかわからなかったそうです。まさしく、それに近いものがあると思います。資本家はリスクを負い、労働者はそのリスクに甘んじて自らの多大な時間を費やし、それによりほんの少しのお金をもらいます。
ということで、淡々と経済状態に関する数字集めを続けています。資格はありませんが、税金や法律、国の経済状態等に関する知識は相当増えました。
最近国の価値の計測を行っています。過去1年間で、相対的に日本と中国では日本の価値は約10%位下がっていることもわかりました。リアルタイムな分析が必要なことに関して、資格の評価は微々たるものじゃないかなと思っています。
グローバルな経済状態の変化を分析し続け、資産を築くことに役立てられればよいなと思っています。
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